古書店主の殴り書き -3ページ目

『子供より古書が大事と思いたい』

 鹿島茂(青土社) 【8.5点】

◎鬼気にあらず、茶目っ気迫る古書蒐集(しゅうしゅう)癖

 痛快な本である。おまけに愉快ときたら読む他あるまい。以前からタイトルが気になってしようがなかった本書をやっと読んだ。著者は現在、共立女子大学の文学部教授。『ユリイカ』の連載が編まれたもの。19世紀フランス小説を専門とする著者が、フランス語の稀覯(きこう)本コレクターとして、破滅すれすれの人生を歩む様子が描かれている。

 愛書趣味というのは、ことほどさように、だれからも理解されず、健全な世間の常識からは疎(うと)まれ蔑(さげす)まれ、家族からは強い迫害を受ける病なのだが、この病の特徴は病人がいささかも治りたがっていないというところに特徴がある。治りたがらない病人ほど始末に悪いものはない。さらに、この病は、財政的に完全にお手上げになって、もうこれ以上は1冊も買えないというところまで行き着かないと、治癒の見通しがつかないという点で、麻薬中毒やアル中などの依存症にも一脈通じるところがある。(8p)

 著者は本書を執筆する15年前に神田のとある書店で、19世紀フランスのロマンチック本というジャンルの挿絵本と出会い、木口木版の魅力に取りつかれる。この時、出会った本のタイトルが『パリの悪魔』と、まさしく著者のその後の人生を象徴するかのような本。しかし、月給が18万円だった当時、さすがに15万円の本を購入することはかなわなかった。

 後日、図書館からその本を借り出した。だが、それを手にした著者は言いようのない悲しみに襲われる。

 たしかに、手にもっているのは『パリの悪魔』そのものである。だが、扉に図書館の公印がべったりと押されたその本は、あきらかに何物かを失っていた。1845年の誕生から、130年以上の長い年月を、様々な人の手に渡りながら生き抜いてきた本としての人生に突然終止符を打たれたとでもいうような感じだった。図書館に入れられた本は、同じ本でも生きた本ではない。本は個人に所有されることによってのみ生命を保ち続ける。稀覯本を図書館に入れてしまうことは、せっかく生きながらえてきた古代生物を剥製にして博物館に入れるに等しいことなのだ。新刊本の場合には、いささかも意識にのぼらなかった本の生命というこの真実が突如天啓のようにひらめいた。そして、その日から私はピブリオマーヌとしての人生を生きることを決意した。私が本を集めるのではない。絶滅の危機に瀕している本が私に集められるのを待っているのだ。とするならば、私は古書のエコロジストであり、できるかぎり多くのロマンチック本を救い出し保護してやらなければならない。これほど重大な使命を天から授けられた以上は、家族の生活が多少犠牲になるのもやむをえまい。(13p)

 と、まあ土屋賢二氏顔負けの見事な論法である。ここで弾みをつけてあとは一気読みである。私は稀覯本には全く興味がないが、奥深い世界は端(はた)から眺めているだけでも楽しいものである。

 一様に稀覯本といっても様々な種類があり、皮革の装丁や挿絵の種類も実に豊富。超Aランク級の古書店ともなると、本の状態が完璧な上に「なにか特別のプレミアム、つまり、献辞、直筆原稿、デッサンなどの『この世でただひとつのもの』が添えられて差別化された稀覯本のみを売るという姿勢が必要とされる(69p)」というのだから、さすが文化の宗主国と沈黙するしかない。著者がフランスに滞在して時には、オークションでドラクロアの献辞をもつ『悪の華』などは、3900万円で落札されたというから凄い。

 著者は日本に帰国してからも蒐集の手を止めることはない。ファクシミリで入札するのである。具体的には記されていないが、結構な借財があるらしい。自宅を抵当に入れ、融資を受けてまで本を漁る姿が、滑稽で憎めない。まるで水晶を思わせる物欲である。

 あとがきがまた奮っている。

 コレクションというものは、およそ客観性を欠いた、きわめて主観的な趣味の表現だ。(246p)

 むしろある種の創造性、あるいは一つの『思想』と呼んだほうがいい。なぜかといえば、コレクションというのは、この世にまだ存在しない『なにもの』を作り出す作業なのだから。(同頁)

 コレクションには、コレクション特有の自動律のようなものが存在していて、これが、コレクションが拡大するにしたがって次第に「意志」を持つようになり、最後には、コレクターを思いのままに動かし、自らを完成させていくことになるからである。(同頁)

 コレクターとは、常に「党」を開いていくことを運命づけられた永久革命者の別名にほかならない。(248p)

 これほどの理屈をこねさせる力が稀覯本にはあるという見事な証拠だ。「狂」や「馬鹿」がつくような人間ほど面白いのは確かだ。

 尚、本書は文藝春秋社より文庫化されたので、求めやすくなったことを付記しておく。講談社エッセイ賞受賞作品。

幼女殺害

 奈良県の幼女殺害事件の犯人が逮捕され、性犯罪の前歴がある人物に対して、かまびすしい議論が沸騰した。

 メディアは都合よく、アメリカの「ミーガン法」なるものを持ち出し、魔女狩りをそそのかした。ミーガン法に関しては、以下のリンク先を参照されたい。

圏外からのひとこと:記識の外 良い監視・悪い監視
圏外からのひとこと:「再犯者率=再犯率」の嘘
ミーガン法のまとめ

 法規制に、私は断固、反対だ。そもそも、アメリカには犯罪者を支援するボランティアなどがいて、社会全体で犯罪者が更正するのを見守る文化がある。日本には全くない。ま、村八分にされるのがオチだろう。我が国では、どうしても、犯罪者=自分達と異質な存在、という図式となる。

 そもそも、んなことやったって、事件の防ぎようはないだろう。

 昨日起こった小学校での殺人事件に対しても同様。セキュリティ、セキュリティとオウム返しに繰り返すマスコミは馬鹿としか言いようがない。きっと、誰かに責任を押しつけたくってしようがないのだろう。

 所謂、少女趣味の連中に関しては、様々なことが囁かれている。大人になり切れてない男性が、同年齢の女性に対して恐怖感を抱いて、つき合うことができなくなっている。男としての自信を持てない連中の眼差しは、少女に注がれる。あるいは、潔癖症が昂じて、大人の女性が不潔に見えるような手合いもいるようだ。挙げ句の果てには、人間を通り越して、人形へと嗜好が傾く。

 こんな薄気味悪いのは、私の周りにいないが、結局、教育の問題に行き着いてしまう。家庭や地域、学校が協力して、まともな大人を育てないと、こうした事件はいつまでも続くことだろう。

 戦争に負けてから、アメリカから自由を押しつけられ、日本人は何も考えることなく、経済至上主義を貫いてきた。そして今、我々は、自由が持ち合わせるリスクを学ぶ時期に差し掛かっているのではないだろうか。

 自由な社会は、自由に犯罪を起こせる社会でもある。私は決して、犯罪を認めるものではないが、結局、そういうことなのだ。

 それでも、事件を許せない人は、ジョージ・オーウェルが『1984年』で描いたような、完璧な管理社会を目指せばいい。

 元犯罪者だからといって、平然と他人の権利に踏み込もうとする人々は、自分の自由を損なうことに全く気づいてない。

 犠牲となった被害者は、言葉も見つからないほど気の毒だと思う。もしも、私の身内が同じ目に遭うようなことがあれば、私はあっさりと法律の柵を超えてみせるだろう。だが、それとこれとは別の話だ。

目撃された人々(13)

 今回は人ではなくてモノ。

 家の前の信号を渡って、左側の路地に入ると右手に花屋がある。JR亀戸駅に向かう際、必ず通るコースだ。以前は吹けば飛ぶような建物だったが、いつしかマンションが立ち、その1階に店舗があてがわれていた。

 私が亀戸に住んでから15年が経過するが、ここで花を買ったことは過去に一度しかない。人の好さそうな主だったと記憶する。

 今朝、何気なく店に目をやると、「合い鍵、作ります」と小振りの看板が据えられていた。「うん?」瞬時に疑念が湧く。どういうことだ? 折りからの不況で、花屋だけでは食ってゆけないということなのだろうか? 合い鍵を作る機械でも買ったのかしら? などと想像している内に亀戸駅に辿りついていた。

 何か面白い臭いを私は嗅ぎ取っていた。総武線の乗り込むと、品の好い小綺麗な女性が立っていた。「ミス“つつましさ”」と私は呟いた。但し、声を掛けるほどの勇気は持ち合わせていない。この年になるまでナンパをしたことはただの一度もないのだ。ナンパされたことは一度だけある。年甲斐もなく胸がキュンとなった。思わず赤面しそうになる。その瞬間、「あ!」と私は思い当たった。「ははぁーーーん、あの花屋で花を買って、女性にプレゼントすれば、相手の女性から合い鍵を作ることを許されるってえワケだな!」。そんな花屋の主の思惑があると考えるのは私の想像力が豊か過ぎる証拠だろうか。

 電車を下りて、歩きながら煙草をくわえた。肺一杯に紫煙を吸い込むと、再び胸が疼いた。美しい女性は既に目の前から去っていた。胸だと思ったのは私の錯覚だった。それよりも少し低い位置だった。疼いたのは十二指腸潰瘍だった。

『死とどう向き合うか』

 アルフォンス・デーケン(NHKライブラリー) 【5点】

「死生学」の権威が認める“尊厳死”に疑問

 友人に薦められデーケンの本を始めて読んだ。「死生学」とは、死をどう捉え、どう理解するかを学ぶ学問。著者はドイツ生まれで現在、上智大学文学部教授。過去に、アメリカ文学賞(倫理部門)や菊池寛賞を受賞している。

 日常生活の中で死と向き合うことは殆どない。これについて語り合うことなども稀であろう。通夜や告別式などに行った際ですら、故人を偲(しの)ぶ程度で、自らの死について思いを馳せることも、まずない。

 誰にでも平等に訪れる死に対して、どうして人間はこれほどまでに無自覚で生きることができるのだろうか?

 考えるだけ無駄だと放棄しているのだろうか。それとも、迫り来る恐怖から目を逸(そ)らしているのだろうか。もしくは、只単に他人事で済ませているのだろうか。

 こうしたことを学問の対象として取り上げるのは重要だ。学ぶに値する内容だ。学びたくてウズウズしてくるほどだ。

 しかし、本書の安楽死のくだりを読み、大いなる疑問に当惑した。

 リビング・ウィル(尊厳死の宣言書)が掲載されているので引用しよう。

「尊厳死の宣言書(リビング・ウィル Living will)」

 私は、私の傷病が不治であり、且つ死が迫ってくる場合に備えて、私の家族、縁者ならびに私の医療に携わっている方々に次の要望を宣言いたします。

 なおこの宣言書は、私の精神が健全な状態にある時に書いたものであります。 従って私の精神が健全な状態にある時に私自身が破棄するか、又は撤回する旨の文書を作成しない限り有効であります。

(1) 私の傷病が、現在の医学では不治の状態であり、既に死期が迫っていると診断された場合には徒に死期を引き延すための延命措置は一切おことわりいたします。

(2) 但し、この場合、私の苦痛を和らげる処置は最大限に実施して下さい。そのため、たとえば、麻薬などの副作用で死ぬ時期が早まったとしても、一向にかまいません。

(3) 私が数か月以上に渉って、いわゆる植物状態に陥った時は、一切の生命維持措置をとりやめて下さい。

 以上、私の宣言による要望を忠実に果たして下さった方々に深く感謝申し上げるとともに、その方々が私の要望に従って下さった行為一切の責任は私自身にあることを付記いたします。
(118p全文)

 デーケン氏は積極的安楽死は許されないが、消極的安楽死は認められるべきだと説く。

 苦痛の第一に挙げられるのは、痛みに対する恐怖であり、続いて大きいのは孤独に対する不安でしょう。(123p)

 と指摘しながらも、安楽死を認める決定的な理由は極めて薄弱である。

 尚且つ、前の章で自殺への警鐘を鳴らしているのだから、整合性に欠けると私は批判したい。

 時代の闇を払うためには健全な思想が求められる。グローバル化する社会においては、あらゆる差異を超えても尚、共感し得る価値観が必要ではないか。その根本の座標軸をどこに据えるか。私は「生命こそが最も尊厳なものである」という共通の価値観を育むことが不可欠であると考える。その私の立場において安楽死は認めるわけにいかない。

 安楽死を選択する判断に潜んでいるのは、デーケン氏が言うような「痛みに対する恐怖」と、更には、醜悪な姿をさらすことへの忌避があるように思う。または、医療技術に自分の身体が乗っ取られ、生の主導権を奪われるのではないかという恐れなどが考えられる。だが、そうした様々な理由によって死を選択することを正当化してしまえば、生命がそれらの理由よりも低い価値となってしまう。そりゃあ、いかん。

 消極的な安楽死が社会的に認知されるようになれば、当然、今度は積極的な安楽死を願う人間が数多く出てくることだろう。そうして人類は苦痛と戦うことをあきらめ、何かあれば安易に死を選ぶような手合いが現われるだろう。

 デーケン氏が信奉するキリスト教的な立場からいっても、疑問が残る。天地を創造した神によってつくられた人間の生命を人為的に操作することを、神は認め給うのであろうか(←変な日本語になっちゃった)?

 社会や世界を覆う問題の根っこにあるのは「生命軽視」という風潮であろう。他を犠牲にして平然とする価値観が、ありとあらゆる局面に歪(ひず)みを生んでいる。仏教においては様々な教典が説かれているが、どのような教えであれ、戒律の第一項目には「不殺生(ふせっしょう)戒」というのが必ずある。生きとし生けるものから命を奪わない、という戒律。これこそ人類普遍の価値とすべきではなかろうか。

 生きることは闘争である。皮膚に傷ができると白血球がばい菌と戦って生命は健全に維持される。人生の晩秋の季節は様々な様相を呈するに違いない。思わぬ出来事に直面することも避けられないだろう。だが、最後の最後まで人間らしく戦いきって私は人生を全うしたい。

目撃された人々(12)

 ストレスを溜めない方法の一つに「電車に乗らないこと」を挙げる人が多い。紳士然とした人物が電車に掛け込むなり空席を血眼(ちまなこ)になって探すような仕草や、頭の悪そうな学生が長い脚を通路に放り出している態度や、込み合った車内で、カサカサとなった皮膚を覆い隠すために、大量の化粧品が塗ったくられたオデコに汗が浮いているのを目にした時などは、確かにそう思う。

 人生を支える大事な要素の一つに「自立」がある。しかしながら、満員電車の中では「自立」することは不可能だ。周囲の揺れに身体を任せるのが最も賢明な選択である。大体が逆らおうとしたって逆らえるもんじゃない。ひょっとしたら、満員電車は国民を無気力にするための有効な政治的策略なのかも知れない。アウシュヴィッツの強制収容所に送られるユダヤ人だって、これほどのすし詰めではなかったことだろう。

 冬の雨に祟(たた)られた日のことだ。平日の正午近い時間ということもあり、電車内は空いていた。私の右斜め前に座っていた若い女性がバッグの中から鏡を取り出した。結構デカイやつだ。台座がついていて直系は15センチほどもあろうか。ひたと鏡に見入るや女は突然、化粧を始めた。「無駄な抵抗はやめろ!」。拡声器が手元に無かったために、舌打ちをかましておいた。が、意に介する様子は全くない。私は瞳に力を込めて「馬鹿な女め」光線を発射した。しかし、これも効き目ナシ。

 女は小さなブラシのようなもので、まつげに色を塗っているようだった。彼女の目に映っているのは自分だけだ。電車内のことはおろか、社会や世界などは全く目に映ってないのだろう。自分の将来すら映ってはいないだろう。どうせ関心があるのは自分の顔だけなのだ。彼女が母親となっても、そうした性癖は変わらないだろう。そうでなければ、衆人環視の中で化粧などできるはずがない。赤ん坊が泣いていても、化粧を続けるのだろう。成長期の子供が悩みを抱えていても、化粧を優先させるに違いない。そして、化粧をもってしても誤魔化すことができない年齢になった途端、彼女の人生は終焉を告げるのだ。医学の恩恵を夏の太陽のように浴びて、彼女は想像以上の長生きをする。棺桶(かんおけ)の中に静かに横たわる彼女の顔には化粧が施され、幼児が描いた落書きみたいになっていることだろう。

 まつげにたっぷりと時間をかけ終えた女は次の化粧品を取り出す。まだまだ、年若い女だったが、目の下の隈(くま)は化粧品をもってしても隠し切れなかった。この女が求めてやまない美しさとは、心の貧しさを不問に付すものであり、つつましさとは縁のないものだった。その内、電車内で下着を取り替える女性が現われるようなことになるかも知れない。

 と、そこへ、十代後半と思われる少年が威勢よく歩いて行った。一目で、頭の発達が遅れていることがわかる少年だ。少年は「ガチャン、ガチャン」と叫びながら意気揚々と足を踏みしめる。電光の案内に文字が出るや否や、彼は直ぐさまそれを読み上げる。「次は千駄ヶ谷」。一息遅れて車内アナウンス。少年は得意げな顔をした。「Next Sendagaya」と英語まで読み上げる。私は頬を緩めた。初老の婦人が顔をしかめた。一仕事終えた少年は窓外の風景を見つめ、無気力な顔に戻る。

 人前で化粧をする愚かな女と、いくらかの障害があっても一人で電車に乗れる少年。彼等を取り巻く人々はどんな人達だろう。彼等が泣いたり、笑ったりするのはどんな時なのだろう。そんな思いがよぎった瞬間、雲間から光が差した。